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スタッフのつぶやき Archive

冬眠から覚めた蛆虫くんお帰りなさい。

春になり桜も散り去り世間ではGWウィーク前の空気感が漂っています。

日々の暖かくなった気候に昼間から眠気まで起こりますね。仕事上車は必須で

毎日特殊清掃や遺品整理の現地調査で、大阪をはじめとして、兵庫県、京都府、滋賀県、和歌山県と

色々な地域に車移動します。車の運転中は冬場は窓を閉め切って運転するのですが、

風が気持ちよい季節なので窓を全開にして運転する事が増えました。

幸い私には花粉症の症状がまだ一度も味わったことが無いのでできる事なのでしょうが。

花粉症の方ごめんなさい。

さて新型コロナウイルス感染症も3年目に突入しておりますが、得体のしれない脅威から

解明されてきた事が沢山解ってくるようになり、自分の身は自分で守る事(自己防衛)にフェーズが切り替わり

つつあります。その中で今後の室内や公共交通機関などでのマスクの義務化なども緩和されていくことでしょうね。

アメリカなどでは飛行機の搭乗もマスクは必要なくなっているようですね。ニューヨーク州だけは

まだいろいろと規制されているようです。日本でも風邪とまでは言えませんが、せめてインフルエンザ感染症の

5類感染症指定に変更して、同じように対応していくことにいずれなるように思います。

コロナウイルスに感染された方の職場の除染作業もだいぶん少なくなってきて

感染者も早く落ち着く事を願うばかりです。

ワクチン接種での重傷化を防ぐのと感染しても軽傷で済まれている方が私の周りにも沢山います。

私自身は新型コロナウイルス感染症に感染された方の除染作業をするので、ワクチンは3回接種も2月末で終わり

無事になんとか今まで一度も感染しておりませんが、こればかりはインフルエンザにも感染した事が無く、体質も

大きく関係しているのだろうなぁと思います。

暖かくなり、特殊清掃の案件が増えてきております。

先日冬眠から眼を覚ましだした【アイツ】を見ました。そのあいつは数百から数千と大量にうじゃうじゃと、

明るい所から暗い所に逃げるように、集団でうにょうにょと動いています。蛆虫くんこんにちは。

また今年も大量の君たちとの闘いが始まるのですね。駆除されるか蠅になるかの闘いです。

孤独死や孤立死、自殺(自死)などでの緊急対応等SCS特殊清掃・ケアサービスにお任せください。

お問合せスタッフ一同心よりお待ちしつぉります。

暖かくなり孤独死や孤立死などの特殊清掃の需要が増えてきます。

桜満開の春になりました。新規一転奮起しようと心がけている人も多いのではないでしょうか?

知人と会社近所の公園でプチ花見をしました。私自身は春の花見、秋の月見等には自信興味を示すことはありませんでした。

しかし先日、会社近くの公園を徒歩で通るとなんとも綺麗な満開前のソメイヨシノが咲き誇っており、なぜか興味を示すことに。

そこで突発的ではありますが花見を数年ぶりに満喫させていただきました。

会社近所の下町の公園で昼間は穴場でした。子供たちが公園いっぱいに遊びまわっているので

隅っこのほうでの花見客はちらほら程度。

ここ10数年の傾向で、火気厳禁な公園が多くバーベキューなどをする事が出来る公園が限られている為

人も比較的少なめ。愛犬と共に近年の仕事のストレス発散には抜群の癒しでした。

心身共にリフレッシュする事が出来て良いお花見になりました。

春になり今年も4分の1が過ぎ、益々と年が過ぎる速さと共に何かわからない焦りを感じているのは私だけでしょうか。

歳をとるにつれて、一年のスピードがとてつもない速さで過ぎ去っていきます。

今一日を後悔しないように、前を向いて噛みしめて歩んでいきたいものです。

暖かくなってきて、SCS特殊清掃・ケアサービスの本業である特殊清掃が増えつつあります。

どんな現場でもSCS特殊清掃・ケアサービスの技術力をもって迅速・適切な技法を用いり対応させて頂きます。

孤独死や孤立死などの突然の死によって汚染された、現場の特殊清掃が必要になりましたら

SCS特殊清掃・ケアサービスまでお問合せくださいませ。

お問合せスタッフ一同心よりお待ちしております。

3.11東日本大震災から11年。震災から戦争

SCS特殊清掃ケアサービスの岡本です。

ロシアがウクライナに侵攻して早くも2週間が経ちました。

毎日メディアで取り上げられる内容は刻一刻とウクライナの首都キエフの陥落が近づいているという事。

大人も子供たちも沢山の人間が亡くなっていっているという事。

誰も得する事が無い、なんの大儀もない戦争。早く終息する事を強く願います。

私たち日本人がどんな事でもいい。祈る事でもよい。寄付する事も。ひとりひとりが出来る事をしていってほしいです。

ウクライナでは戦争が起きている中、毎年冬から春に移り変わるこのときに決して忘れる事の出来ない

震災の記憶がありますね。

私が18歳、高校の卒業前には阪神大震災が起き、私は無事でしたが親戚は被災者となりました。

そして11年前に東日本大震災が起きました。

2011年3月11日に私は長距離トラックドライバーとして仕事していました。

私は当時あの現地に足を踏み入れ、この目で経験して、その後トラックを降りて今の仕事をはじめるきっかけが

東北の大震災です。

あの日、ちょうど昼過ぎに神戸の港で静岡県牧之原市行きの荷物を積んでいる時に揺れを感じたのが始まりでした。

まさかその時には大災害になるなんて思いも寄らなかったのですが、結局はその後、東北には甚大なる津波被害、そして

静岡県沿岸も津波警報が発令中で、翌日の荷卸し場である牧之原市も沿岸2キロ以内に位置するので、運搬が中止になりました。

荷物をもう一度神戸港にある物流倉庫に戻し、空車の状態で当時勤めていた会社に帰社しました。

テレビをつけると私も体験した阪神大震災とは違う、津波の映像を見る事になりました。

同じトラックが流されていく映像をみて、初めて今回の震災の怖さを覚えました。

他人といえど私も停めた事のあるあの岸壁沿いの大型トラックが流れて行ってるのです。

しかも大型トラックがいとも簡単に流され海へ飲まれているのです。中に人が居るかもしれません。

いや、いる可能性大です。あの岸壁に停めるときは、キャビンで寝ている可能性が高いです。

あれが自分だと思うと。身体全体で震えました。

次の日からもテレビによる被害状況、中には孤立している町もあるとのこと。そ

んなときに仕事依頼がはいりました。荷主が大阪知事(当時橋下さん)の仕事を私が任命されました。

なぜ私が選ばれたのかはわからないのですが、当時34歳の私は一番若いのでいってきます!!という二つ返事は当たり前。

しかし初めての東北地方へいくのが震災中で、被害状況がわからない被災地へ行くことに

正直不安を覚えていましたが、変な正義感なのか使命感を感じたのでしょう。なぜかいくしかないと私。

当時の私は月に3日ほど、大阪の家に帰ってきて夜は街で飲み散らかし。休み明けにまた長距離運行にいくという

なんとも好き勝手なおひとりさまを満喫しており、本当に心が病んでいた私は人と関わるのに

トラウマを覚えていたので、気楽に一人旅を楽しんで仕事が遊びのような感じでありました。

あと先の事なども考えるはずもなく、ただ、惰性で生きておりました。

そんな私に、妙な変な気持ちが生まれ、なぜか力になりたいと思った被災地への救援物資の運搬が始まりました。

震災の次の日12日の18時ごろに万博記念公園にある災害備蓄倉庫にて(災害用チキンラーメン)の積み込みが終わりました。

次にトラックの3軸目のみスタッドレスタイヤを装着(あきらかに何かがおかしいのですがここは割愛)

大阪から高速で名神、北陸道から新潟中央より磐越道に移る手前、三条燕インターで一旦高速を降りて給油所へ。

被災地では燃料を入れる事が出来ないかもしれないとの噂が、トラックドライバーでは広がっていたので早めの給油です。

大型トラックの燃料タンクは600ℓ、だいたい満タンで1500キロ前後だったと思う。

大阪から岩手県宮古市まで1100キロなので、余裕をもって600キロくらいの新潟三条燕で給油するのが

無難だと判断したのです。

無事に給油を済ませて高速を走り、磐越道を目指そうとすると急激な眠気が襲い、路肩に停め2時間程仮眠。

朝6時頃目が覚めて磐越道に入るところで警察の検問がありました。

そこで初めて(内閣府発行)通行許可証を手にいれました。

ビックリマンシールキラキラ以上の素晴らしいプレートです。

これがあると震災復興に関わる車両は高速道路が、全て無料通行可能になるとんでもない期間限定のシロモノだったのですが。

途中磐越道から東北道への分岐、郡山ジャンクションを超えてから入る東北道は、地震による地盤のずれで

道路上にヒビや段差が沢山出来ていて、トラックにも相当の衝撃が走りました。

道路上の段差と大雪でスピードを出すことが危険なので、60キロ走行で東北道を北上してようやく

盛岡南インターに到着した頃が、すでにお昼13時過ぎだったのを覚えています。

救援物資の配達順番は、岩手県岩泉町→普代村→宮古市と卸しに行く予定でした。

この当日実は、大寒波が東北を襲っていたのです。

大寒波の影響は地吹雪警報と共に路面は凍結し、雪も積もっている状態でした。

ご存知の方もおられると思いますが、盛岡南から岩泉町→普代村→宮古市へ行くためには

国道455号を90キロ近く山道と険しい峠を走っていかなければなりません。

そして峠の入り口には当然検問があり、一般車両通行止めの看板。

私のような【内閣府発行】通行証を持っている車のみ可能。

しかし前記していた3軸目のみスタッドレスタイヤを履き、その上からタイヤチェーンを巻いただけの装備なので、

検問で止められます。いったらだめだと。

しかし、わたしは【いくしかないねん】と警察に怒鳴って、無理やりゆっくりトラックを登らせていきました。

警察も停めもしないのでそのまま進行。数キロ行くまでには道路はとっくに真っ白。

3軸目しかスタッドレスタイヤを掃かせてもらえない、ケチ会社を恨みました。。

そんな不十分な装備ではゆっくり走行するしかなく、途中自衛隊のトラックにも抜かせてあげるくらい、危険な走行だったのです。

岩泉町役場に到着する頃にはもう夕方になっていました。

そこで荷物を卸して次は普代村に着いた時には、もう日が落ち真っ暗になっていました。

荷卸し後にはフロントガラスが凍り付き、お湯も無く溶かすことが出来ずに爪で掻き削って視界を確保。

前途の村では直接的な人的被害は最小であったのですが、避難している人はたくさんいました。

でも身内の安否がわからなくて不安な気持ちで皆さま過ごされていたのだと思います。

凄くチキンラーメンを届けた事に感謝してくれて、私は【一緒にがんばりましょう】としか言葉をかけることができませんでした。

そして次の宮古市に近づき街が見えた瞬間、体中が震え上がりました。

テレビ、それ以上の360度の光景が広がっていました。

普代村を出る時に国道45号までどうやっていけばいいですか?と訪ねてみると【道は無くなった】と聞いていましたが、

本当だとすぐに実感した。本当に道がない。

国道道路真ん中にひしめき合う家、家、家、まだ水も引き切っておりません。

救助もまだできていない事がわかる家だらけ。

慌ててトラックから飛び降りると、地面が凍り付いていてコケる。

しかしコケた痛さや寒さよりもありえない光景に震え上がる。

勝手に出る涙が止まらない。馬鹿だから写メールを取ろうと試みたが、手振れ防止以上の震え上がりで撮れない。

中型船がビルの上に乗っかってる光景。テレビで見た。でも実物でみたらテレビとは比べ物にならない。

なんてことだ。これが津波。

これが現実。本当に震えがとまりませんでした。睡眠時間すごく少ししか取っていないけど眠気なんて起きる気がしません。

その場にいても何もする事が出来ない自分にわかってはいるけど、しばらく立ち尽くしていたのを覚えています。

しかしすでに時間は日にちが変わるくらいまでになっていたので、救援物資を運ぶ体育館を探しようやく着いた。

宮古市のとある体育館には、沢山の人が待ち望んでいたかのように受け取ってくれる。

荷卸も被災者の皆様が手伝ってくれました。

まだ自分の家族たちが見つかっていない人もたくさんいました。

若い子も年配者もその時から、お互いを励ましあっている。

携帯電話が全く使えず衛星電話の列に並んでいると、まわりは皆地元の人たち。

泣きながら叫んでいる人、泣きながら安否確認が取れて喜んでいる人。

会社へ配達完了報告の為に連絡をとるのも申し訳なく、途中で列を離れました。

電波の届くどこかを探すために盛岡まで戻ろうとトラックのエンジンをかけると、

自衛隊の方から帰れないぞ。明日の朝までまったほうがいいと言われました。

理由は雪が圧雪しており(薄く硬い氷が張っている状態)地元の慣れたドライバーも、スタッドレスタイヤの

上からチェーンを巻いていたが切れたとの事。

タイヤチェーンはあくまでも雪の上で使うものであり、圧雪下のアスファルトに触れるのでどうしても切れやすいのです。

それで明日の朝まで、体育館で就寝してしまうと、被災者の方の寝床が一つ減らすことになりかねません。

そうするわけにはいかないと思い、行けるとこまでいこうときめて出発したのです。

しかし、いわんこっちゃない途中でチェーン切れました。もう走行不可能。

宮古市から50キロくらい進んだところで、雪と坂の傾斜が急なのでこれ以上は危険だと思い、道の駅をで夜を過ごしました。

マイナス15度以上の表示看板を見ながら、仮眠をとりました。

翌朝には天気も晴れと雪がやんでいました。道路上の雪も少しましになっていたので出発。

数時間後にようやく盛岡まで出てくることができました。携帯電話の電波も入り会社に完了報告をいれると、

会社の配車係がなんや生きとったのか?行方不明になったと盛り上がっていたとの事。

私を労うわけではなく、休む間も無く帰りの荷物をその日中に群馬県伊勢崎市へ向かう事に。

そして2日後に関西へ一旦帰阪しました。

この日が初めて被災地へ救援物資を持っていった日になりました。

それから何度も岩手、宮城、福島へ救援物資を持っていくことがになります。

現地で出会った深い悲しみの被災者の方、納棺師やエンバーマー、歯科技工士、自衛隊や

災害ボランティアの方の使命感に心打たれました。

それから数か月で私はトラックを降りて、今の志事、特殊清掃という仕事に出逢いました。

私にとっての震災は人の命がたくさん奪われた悲しさと、私の生き方を変えてくれるきっかけになってしまったわけです。

災害復旧支援には私が出来る事をこれからもしていきたいと思います。

今日の日を風化させることなく、命を大事に。

また災害時には危機管理が第一、それぞれが声を掛け合う事で沢山の人の命が助かる事が多いです。

哀しいことに、今の日本は都会であればあるほど、近所付き合いが無い。

隣のひとの名前はおろか、顔もわからない、住んでいたの?であるとか、

そうではなく周りが昔の団地の隣近所のように助けあう事が必要であると思います。

私たちが産まれてから起きた大きな自然災害、阪神大震災及び東日本大震災で沢山の命が奪われました。

それを教訓に人間は成長していかねばなりません。一番大切な事は相手を思いやる気持ち。

持ち続けていきたいです。

戦争も絶対ダメです!早く戦争が終わりますように。

あなたはひとりじゃない

●あなたはひとりじゃない

突然何のことかと思われたかもしれませんが、政府の内閣官房 孤独・孤立対策担当室から「あなたはひとりじゃない~声をあげよう、声をかけよう~」というウェブサイトが立ち上がっています。

年代、性別、さまざまな状況で、誰にでも起こりうる孤独・社会的孤立について、啓発と支援につなげる役割があるようです。

孤独・孤立について話し合うオンラインのトークイベントや、チャット形式による相談窓口・支援制度の紹介などが内容となっています。

誰にも言えずに悩みを抱えるというのはしんどいものだと思います。

言える場所がある、人がいるというのは大切です。

困っていることが話せる、聞くことができるそういう社会にしていこうという趣旨ですね。

私たちの業務でもいわゆるゴミ屋敷といわれるようなお部屋の清掃や片付けをお手伝いさせていただいておりますが、お部屋の主の方も、ゴミが溜まってきている、捨てないといけない、とは分かっておられて、ご自分でもどうにかされようとしている間にできずに事態は悪化し、どうにもご本人だけでは手を付けられなくなって、ついにお片付け業者である私たちに連絡をいただくというパターンはあります。

もっと早い段階で身近な誰かに相談できていれば、自治体による日常ゴミや粗大ゴミの対応で済んだかもしれませんし、部屋の汚染、健康被害、金銭的損失は避けられたかもしれません。

ウェブサイトから良い方向に歩み出せる人があらわれるといいですね。

興味のおありの方は「あなたはひとりじゃない」で検索してみてください。

特殊清掃のお仕事に常時するからこそ、ご先祖、家族、他人、自分を大切にできる事

新型コロナウイルス感染症の第六派が、全国で猛威を振るっている中で大阪も過去最高の一日の感染者を更新しております。

毎日のニュースの中で著名人で誰が感染したかとか、不安が煽られる報道の中で、私の身近な知り合いで陽性になったかたも

数名でてきております。(あくまでも知り合いなので濃厚接触しておりません)本当に心配な日々が続いておりますが、

新型コロナウイルス感染症の対策として、マスク手洗いうがいの徹底をしてまずは【かからない】【うつさない】ように

年末前から年始にかけて私たちのお仕事でもあります特殊清掃が落ち着くのかと思っていましたが、今年も怒涛の年末年始になりました。

年末の寒波でかなり近畿地方でも雪が積もるくらいの気温の低下がありましたので、特殊清掃が必要な凄惨な現場であっても

気温の高い夏場との違いで、死臭(腐敗臭・腐乱臭)も強烈に嗅覚を刺激するほどでは無くて、夏場ならば強烈な死臭(腐敗臭・腐乱臭)が

嗅覚のみならず目が開けられないくらいに視覚にまで刺激する現場だと思います。今の時期は特殊清掃の作業自体をスムーズに無心で

行えるという事です。あと数か月もすればまたあの強烈な現場が待っていますので気持ち的にも何か?を温存できるのかなと。苦笑

私たちの特殊清掃現場では切っても切れない大切な事があります。特殊清掃現場といっても様々です。

例えばペットを放し飼いしてしつけをきちんとできなくて排泄物の垂れ流しがそのままの状態を特殊清掃する。これも

特殊清掃ですし、今社会問題になっておりますセルフネグレクト問題。世間一般に名前が認知されている

ゴミ屋敷。これの片付けや原状回復は特殊清掃になります。

そして、入居者が孤独死や孤立死、自死(自殺)、殺人(殺害)によっての原状回復現場。勿論故人様に限りませんが

かなりの割合でだれかが亡くなってしまった現場も特殊清掃です。

ほとんどの場合が故人様がその場所にいなくなったままの場所 いわば住居がそのままの状態で残されているわけです。

お亡くなりになられる方は高齢者から若い方まで様々ですが、近年では高齢化社会の関係もあり

高齢者の方がお亡くなりになる場合が非常に多いです。

高齢者の方が亡くなると、10人に6.7人はお亡くなりになられた方のご先祖であったりパートナーのお仏壇が鎮座しています。

御仏壇というのはわれわれSCS特殊清掃ケアサービスの考え方では、お仏壇は祭られている方の今の住処と考えます。

特殊清掃のお見積りを作るときに遺族様であったり、身寄りが無い場合であれば物件のオーナー様が依頼者になる事があります。

依頼者は少しでも安く金額を抑えたいのが当たり前です。

毎日、お仏壇にお勤めをしていた故人様の想いであったり、お仏壇に祭られているご先祖様の事を深く考えないことは

当たり前かもしれません。そんな状況なので遺族様でもオーナー様でもお仏壇は処分してくださいと言われる事が多いです。

私はそんな場合でお伝えします。申し訳ございませんが、弊社ではお仏壇は故人様のご先祖様との対話できる家のようなもの

なので、ゴミとして扱う事はできません。それでもどうしてもというならば、弊社がかねてよりお世話になっている

お寺へ持ち込んでお仏壇を火にかけてその灰を、誰も踏むことのない山の頂上付近まで三輪車で運んで土に還す。撒いて頂きます。

これをお焚き上げといいます。そして祭られている先祖であったりご家族様に対しての毎日のお勤めでお経をあげてくださります。

これを最大半年以上にかけて毎日心こもったお勤めしてくださいます。

しかしそれだけの事をしていただけるのにはお気持ちのお布施も必要になってきます。

お金の問題であれば、市区町村の環境課に連絡して粗大ごみとして取りに来ていただく選択もあります。

どうされますか?と提案させていただきます。

こればかりは何が正しいという選択肢は依頼者に決めていただく必要があるのです。

別に粗大ごみやパッカー車に処分しても誰がバチに当たるとかそのようなオカルト的は事では無くて

われわれSCS特殊清掃ケアサービスのスタッフは、15年以上にわたって大阪の高槻市にある一乗寺という日蓮宗のお寺に

今まで何100基とお仏壇をそのお寺様に持ち込ませていただいております。

新型コロナウイルス感染症の脅威が始まってからは年末のお蕎麦や除夜の鐘を中止しておりますが、

それまではお寺の大掃除と大晦日のご奉仕にずっとお手伝いさせていただいていました。

そのお寺のお上人が本当にすばらしい住職様で、1基、1基丁寧にお経をあげていただいているのを

毎回目にしているので、ぞんざいに扱う事はできません。

お上人はいつも遠慮しなくて持ってきてくださいとおっしゃって下さります。

しかし、なんでもかんでも沢山の仏壇をお持ちするとお上人の負担になると思うのです。

それくらい1基に対しての想いが伝わるのです。

われわれはSCS特殊清掃ケアサービスのスタッフはこのような縁で先祖の大切さであったり、家族、他人、自分自身の大切さに

常日頃から向き合わせていただいております。ありがとうございます。

内閣官房 孤独・孤立対策推進会議による孤独・孤立対策の重点計画

令和3年12月28日付で内閣官房孤独・孤立対策推進会議による孤独・孤立対策の重点計画が発表されていますね。

内閣官房ホームページにて概要や本文が読むことができます。

新型コロナ感染拡大後に、交流・見守りの場、相談支援を受ける機会の喪失が起こっていて、コロナ禍以前から社会に内在していた孤独・孤立の問題が「顕在化・深刻化」しているとあります。

若い人や女性の自殺が増えていることもそうですし、ニュースを見聞きしていても何かイライラしたことでキレて犯罪に至るようなケースも増えているような気がします。

孤独と孤立の定義についても書いてありますね。

孤独が一概に悪というわけでは決してなくて、だいぶ以前からおひとり様とかひとりキャンプなんて言葉も流通しています。

「望まない孤独」「孤立」は支援が必要な問題になりうる可能性がありますね。

「ぼっち」なんて言葉は望まない孤独を指しているように思います。

孤独、孤立の問題は弊社のような特殊清掃業とも大きくつながる問題です。

ゴミ屋敷といったセルフネグレクト、孤独死、孤立死、自殺、そういった問題が発生した後、顕在化した後の対応に私たちのような業者は関わっているわけですが、本当に大切なことはその予防だと思います。

つながり作り、地域作り、相談の声を上げやすい環境の整備など対策、施策、方針が示されていますので、ぜひ目に見える形で推進していっていただきたいと切に願います。

今年は新型コロナウイルス感染症の影響からか職を失った方の自死現場(自殺)の多い一年間でした。

今年も残すところあと僅かになりました。SCS特殊清掃ケアサービスに関わってくださりました沢山のご縁に感謝いたします。

来年も宜しくお願いいたします。今年も一年間で沢山の特殊清掃業務をおこなってきました。

来年の年始もすでに予定が決まっておりますが特殊清掃の緊急対応等、年中無休で対応させていただいておりますので

お困りの際はSCS特殊清掃ケアサービスまでご連絡戴ければと存じます。

今年を振り返って、やはり新型コロナウイルス感染症の影響で緊急事態宣言もあり

職を失った方が多いのか、とにかく一年間で(自死)自殺現場の特殊清掃が多かったです。

孤独死(孤立死)現場も年々増えて今年も多かったですが、

中でも圧倒的に多く感じたのは特に女性が自死(自殺)された特殊清掃や遺品整理の現場を

沢山対応させていただきました。

つい先日にあった現場では懇意にして頂いてる葬儀社からの依頼でした。

娘さんが自死(自殺)されたので遺品整理を頼みたいとの事。

自死(自殺)されるかたの9割は自室にて、首にロープ等をかけてお亡くなりになられる方がほとんどです。

10年以上前に問題になった硫化水素を発生させて自死(自殺)される方はもうほとんどおられませんが、

練炭を利用した(1酸化炭素中毒)自死(自殺)もかなり少なくなってきているような気がします。

それでも年に数回は対応しているような気がします。

このように自室で自死(自殺)される方がほとんど。

ご遺族様と電話で打ち合わせした時に確認させて頂いたのですが、

お部屋でお亡くなりになられておられたのですかと。しかしどうも違うようなのです。

現地で待ち合わせしていたので、部屋へ向かうと部屋の中からご遺族の初老の男性が出てこられました。

挨拶をして少し話をしていると娘さんを突然このような形で失い、葬儀を終え数日は動けなかったようでした。

ようやく重い腰を起こして、片づけねばと決めたようです。

それでも喪失感は想像を絶するものでご遺族様のお顔には覇気が無く悲嘆に暮れている状態です。

御遺品整理の見積を作りながらご遺族様とお話ししている中で、娘さんの自死(自殺)についてお話してくれました。

河川敷で手首を切って絶命していたそうです。

半年前にご遺族様の連絡があったようでした。お金が無くて困っているとの事だったそうです。

それからは連絡が無くてこのような結果になってしまったことの後悔。

娘さんは部屋で亡くなると家族に迷惑をかけるのをきっと理解されていたんだと思います。

本来、賃貸物件での自死は、損害賠償の対象になる事がほとんど。

昔にあった現場で今でも忘れる事が出来ない事で、自死(自殺)された部屋の階全ての住人が

出て行ってしまったので、大家さんがご遺族さん対して全員分の家賃を数か月分請求するケースがありました。

家賃の請求だけでも飛んでもない金額になりますが

それだけではなくて、特殊清掃費用、消臭(脱臭)費用、リフォーム工事費用を全て支払わなければなりません。

賃貸の連帯保証人に対しては責任があるわけです。

故人様は賃貸住宅で自死すると両親に迷惑が掛かってしまう事を調べそこまで理解した上で、外にでて河川敷で絶命。

考えただけで涙が出そうでした。

お部屋には必要最低限の家財のみが残されていて、クローゼットには布団も綺麗に収納した状態でした。

故人さんの人柄がみてとれるような生活感がありました。

故人様のご冥福をお祈りすると共に残されたご家族様の悲嘆が和らぎ、一歩づつ前を向いていけるようになりますように。

季節性うつ病

SCS特殊清掃・ケアサービスの林田です。

季節性うつ病というものがあるそうです。

気分の落ち込みや身体的な不調といった症状があり、10~11月頃から増えて春先にはおさまってくるパターンをもつようです。日照時間の影響もあるようです。季節の変わり目は体調を崩しやすいというのはよく言われますが、身体だけでなく心・メンタルの方も同じくのようです。なんとなく実感できるという方も多いのではないでしょうか。私も前職は障がい者支援施設で働いていたのですが、精神障がいの利用者の方で季節の影響を受ける方はおられましたね。

また、昨年はコロナ禍の影響もあってか、自殺者数が11年ぶりに増加に転じ、若者と女性が増加しています。孤立、孤独の問題があるだろうと思います。孤立と言っても、経済的であったり、人との交流が持ちにくい社会的な状況であったり、未来の見通しを持ちにくい心理的なものであったりと
複合的な問題かと思いますが。そして孤立という問題の極端な形のあらわれ方として、私たち特殊清掃業も関わることとなる自殺や孤独死があるのではないでしょうか。

季節性うつ病の話に戻りますが、この時期、もしご自身や身近な方でなんとなく元気がないとかいつもと少し様子が違うとか気づかれることがあったら、普段以上に気にかけたり、ケアが必要かもしれません。昼間によく日光を浴びるようにし、バランスよく栄養をとり、適度な運動をして、夜はよく眠れるようにする。少し気をつけて秋、冬を迎えたいと思います。

震災関連死

SCS特殊清掃・ケアサービスの松田です。

2016年4月に発生した熊本地震からもうすぐ5年がたとうとしています。先ごろ、熊本城天守閣の復興が終了して、報道陣に先行公開されたとの報道がありました。復興のシンボルでもありますので、こういうのはうれしいニュースですね。熊本城も大きな被害にあい、有名な石垣が崩壊した様を見たときには地震の被害の大きさに衝撃を覚えました。一方で完全崩壊を免れた部分もあり、先人たちの偉大な仕事ぶりにも感銘をうけました。復興に関してはまだまだ途上ではありますが、こういうのはいいですね。

一方で仮設、復興住宅での孤独死は5年で35人に上っているようです。誰にも看取られずに亡くなったということで孤独死と定義されていますが、「孤独」という言葉があっているのかどうかは気になるところです。ただ、こういった災害で地域コミュニティが壊れてしまうことはありますので、こういった面については十分なケアが必要でしょうね。また、自殺や、地震に関連した精神的・肉体的負担によって亡くなられた「震災関連死」も218人認定されているようです。地震のことを忘れないことはもちろんですが、こういったことも忘れないように注視していきたいですね。

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田中邦衛さん

SCS特殊清掃・ケアサービスの松田です。

田中邦衛さんがお亡くなりになりました。ここ数年、体調が悪いというニュースもありましたし、人前にもでてこられてなかったので、そこまで驚きではなかったですが、悲しいですね。田中邦衛さんといえば、やはり「北の国から」のイメージが強いですね。連続ドラマの頃は見ていなかったのですが、スペシャルドラマはよく見ていました。その後、DVDで連続ドラマも見ましたが、すごくいいドラマでしたね。このドラマの田中邦衛さんはよくモノマネもされていましたし、印象に残っている人も多いのではないでしょうか。あそこまでの田舎暮らしをしている人というのはそうそういませんが、やはりああいう生活には憧れてしまう部分もありますね。地域の支えあいみたいなものもあって、日本でなくなっていってしまっている色々なものにスポットライトがあたっていたような気がします。孤独死なんかも、ああいう生活であれば起こらないのかもしれませんね。ご冥福をお祈りいたします

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